ある臨床心理士のココロノウチ

自分自身の自己一致をめざして、なるべく心の中を正直に、思ったことや感じたことを素直に記して行こうと思います。

理想的な死とは

ここ最近の私は、孤独感をひしひしと感じている。

きっかけは、50代の義妹が亡くなったことだと思う。

私の夫の家族は、かなり訳ありで、家族が崩壊し、不幸が続いている。

息子(私の夫)と娘を先に見送る立場になった義母の気持ちを思うと、切なくてたまらない。

私は今、田舎の一人暮らしで、息子は離れた都会で一人暮らし。

今まで、一人暮らしも悪くないという気持ちの方が、どちらかといえば強かったのに、義妹の死を看取って、自分も死を強く強く意識してしまった。

自分はどんな死に方をしたいのか? 死んでいくとき、誰にそばにいて欲しいか?

いくら考えても、その通りにならないとは思うが、どんな死を迎えたいかを考えたとき、私はやはり、パートナーにいてもらいたい、と思ってしまった。

今、パートナーがいないことを、改めて、とても寂しく、孤独に感じてしまった。

誰かに看取ってもらって先に逝く人をうらやましいと思う。

テレビで、高齢の夫婦がため池に落ちた近所の子どもを救うために、二人とも犠牲になったという話をきいて、私は不謹慎だと言われるかもしれないが、うらやましいと思ってしまった。

子どもは助かり、夫婦仲がよくて、近所でもお人よしだと思われていた高齢の夫婦が共に亡くなったのだ。

夫婦の息子は「なぜ、自分の両親が死ななければならなかったのか」と嘆き、番組はため池の安全策について考える話だった。

私から見ると、夫婦の仲もよく、最期は人を救って、二人一緒に死ねるなんて、こんなに理想的な死に方はない、というところに、気持ちが向いてしまった。

私の場合、夫が亡くなったときは、子どもがまだ中学生で、自分がこれから生計をしっかり立てていかなければ、と必死だった。

大学院に入学して、臨床心理士の資格を取ろうと覚悟を決めたのも、夫の死が私の背中を押した、と思っている。

義妹とは、年に数回会うくらいで、さほど親しい関係ではなかったが、亡くなったことで、私の中に、想像もしなかった波紋を広げている。

人は死ぬことで、生きているときとは違う、心にしみる影響力を持つのだと思う。