ある臨床心理士のココロノウチ

自分自身の自己一致をめざして、なるべく心の中を正直に、思ったことや感じたことを素直に記して行こうと思います。

久しぶりのSV

春休み、約4ヵ月ぶりのSV(スーパービジョン)を受けてきた。

私の先生(スーパーバイザー)は、現在進行中のケースでも、私自身のこと(教育分析的なもの)でもオーケーなので、その日の内容をどちらにするかは、よく迷ったりする。

今回は、2セッションを予約していたので、ケースと自分自身のことにしようと思っていたのだが、ケースを選ぶことができず、2セッションとも私のことになった。

結局、数ヵ月前に出てきた話題につながる内容となった。

感情というは、時間がいくら経っても蘇るものだ。

数年前に感じていたことが、ありありと体の振るえとなって現れたことに、自分自身でも驚いた。

出来事の詳細は忘れてしまっても、感情は蘇る。

そして、気持ちとは、言葉で表しきれないものだ、ということも、最近つくづく思う。

さらに、気持ちは、たった一つではない。今言葉になった気持ちのほかにも、もっともっとたくさんの気持ちが、同時に存在していたりする。自分でも気づかないこともあるし、気づいても言葉にならないことも多い。だから、気持ちって理解するのは難しい。

夫の死について、またそれに関連する家族のことなど、私自身には、深い傷や闇がある。

何年経っても、完全に癒されて治るものではなく、そうした傷や闇とは、ずっとともに生きていくんだと思う。

そんなことが、表に出てきたSVとなった。

私はそもそも、マスコミ関係の仕事をしていて、心理士やカウンセラーになろうと思っていたわけではないので、今、自分が臨床心理士となっていること自体、ふと不思議に思ったりする。

私はなぜ、カウンセラーをしているのか?

私は自分自身の問題を昇華しようとして、カウンセラーをしているのかもしれない。

そう思うところもあった。

しかし、先生があっさりと、会話の流れの中で言った言葉に、私は救われた。

「それは(カウンセラーの仕事は)、あなたができることだったから」。

カウンセラーは、私にできることだったんだ。私はできていたんだ。

私の心の中で、先生の言葉は、そう変換された。

先生はさらに、「運命みたいなものなんじゃないでしょうか」とも。

私自身がカウンセリングを受けたいと思った15,6年前。そこから始まった心理学への道。今ようやく、私自身の心の中の傷や闇が明るみに出て、深い受容が今進んでいることを感じる。

私の心のクセは、いちいち、いろんなことを関連付けようとすることや、ミッション(天からの使命)という言葉が好きで物事を重たく考える傾向がある、ような気がする。

今回のSVでは、そんなことも感じた。先生がそういったわけではない。私自身がそう思った。

もっと、一つ一つのことをシンプルに考えていこうと思った。

SVを受けた日の夜に見た夢は、街並が壊されて、新しく再開発されるものだった。私は、こわれた建物の瓦礫の間を、歩いている。悲惨な気持ちではなく、街並が生まれ変わるための瓦礫だった。

朝、私の中で何かがすっきりしたのを感じた。

夢ってすごいなぁ。